3月9日
1年の中で皆さんにも何日か
大切な日があると思います。
わたしにとってそのうちの1つが
3月9日。
わたしの父方の祖父の命日です。
今年で丸21年となりました。
中学卒業式直前に祖父が無くなり、
穏やかな顔で寝ているのに冷たい祖父の
姿を今でもハッキリと覚えています。
また誰よりも寝る時間を惜しんで
働いていた実母が何も言わず
祖父の前で何かを訴えていた姿も
印象的でした。
祖父の亡くなる前日。
日曜だったので父の仕事を手伝いに
一日出掛けていて
帰ったら祖父の入院している病院へ
行く予定にしていたのに
しんどくなり、
また明日行けばいいや、
と思っていたら
その明日は二度と来ませんでした。
そして時は流れ、
1年半前
旦那方の祖母が他界しました。
それも帰宅途中に鳴った
携帯電話で何となく感じるものがあり、
結局、病院に着いたときには
すでに祖母は息を引き取っており、
血の繋がらない
わたしがそんな祖母の死後確認を
することになりました。
その時も
ただ眠っているだけに見えて、
遅くなってごめんね、
と触った腕の冷たさで現実を知り、
心臓が動いていないことを知りました。
そしてそれからまた少し時を経て今。
義母が目と鼻の先に住んでいたマンションから
東京の
義姉夫婦の元へ引っ越すこととなりました。
結婚する前からとても可愛がって頂き、
息子が産まれたときには
完全に頼りっぱなしで
息子はおばあちゃん子なほど。
また娘も
ばあばんちに泊まりに行く!
といつも嬉しそうに出掛けていたほど
いつもわたし達を支えてくれた義母とは
しばらく離れて暮らすこととなりました。
その中で、
一つだけわたしが口を出したことがあります。
それが
旦那方の仏壇。
わたしは産まれてから
神棚のある家に育ちました。
毎日、祖父祖母、父母の誰かが
お供えをし、
出掛けるときには柏手を打つのが
当たり前の生活で、
高校を出てからそれが無くなったのが
不思議に思う程でしたが、
また似たような生活が始まりました。
子ども達はまだ
訳も分かっていないと思うのですが
毎朝のお水とお供えは
娘がすることになり、
遅刻しかけても、
子ども達は順番に仏壇に手を合わせて
出掛けるのを見ていると、
宗教とかそういうものを超えて
家族っていいなあ、
血筋と血筋が混ざり合っていくって
凄いなぁ、
と思います。
何が良くて何がダメなのか
ちっとも分かりませんが、
仏壇があるというのはきっと、
家族を繋いでいきます、
これからも家族が繋がっていきます、
ということと
常にわたし達は家族だということを
認識出来ると思うのです。
平成も終わりかけているのに
アナログなお仏壇のままですが、
必要になれば簡素化すればいいし、
当分はこのクラシックスタイルで、
毎日、誰かが誰かを思う
家で在りたいな、と思った
今年の3月9日でした。
仏壇が来たのは、その翌日でしたけど笑。
これからも賑やかな家族で
在り続けたいと思います。
おじいちゃん、いつも見守ってくれてて
ありがとう。
母方の祖父母もありがとう。
そして、
旦那方の祖父母、舅であるお父さん
ありがとう。
わたしたち家族にまつわる
全てのご先祖様に感謝します。
わたし達は今日も元気です💕
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