1週間が経って。

先週、義祖母が亡くなりました。
亡くなる2日前に92歳になったところでした。

義母はたまたま東京に行っており、
帰るかどうしようか迷っていたときの危篤の連絡を受けましたが、
誰よりも早く会えたのは、
何故か私でした。

祖母とは嫁いでからのお付き合いなので
10年ほどしか知りませんが、
私の子どもたち2人の面倒もよくみてくれ、
離乳食を作ってくれたりもしました。

段々、認知症が進行し
ダンナと亡くなった義父を間違えて呼んだり、
過去のことは覚えていなかったりしましたが、
それでもわたしが1人で面会に行っても
いつも子どもたち(祖母にとってはひまご)の
心配をしてくれ、
いつか元気になって、
また子どもたちと会いたいと言っていました。

今年の1月に施設から病院に入院してからは
いつ、どうなるか分からないから
覚悟していて、と言われていても
実際に危篤の知らせを聞いたときには
動揺しました。


病室に着くと、
何故かカーテンは閉まっていたけど、
いつものように祖母は寝ていて、
おばあちゃん、
と声を掛けて触れた腕から
体温が消えていることを知った瞬間に、
初めて祖母の死を知りました。

間に合わなかった。
それが最初に思ったことでした。
おばあちゃん、ごめんね。
あんなに淋しがりやで
帰る、と告げたときの切なそうな表情と
また必ず来てね!
と言われたときのことを鮮明に覚えています。

きっと祖母に触れなければ、
私は死を受け入れることは出来なかったかもしれません。

その後、義母と祖母の生前に約束をしていた、
エンゼルメイク(死化粧)をさせてもらいました。

皮膚は冷たいのに、
ほんまに目を開けておかえり、
と言ってくれそうな祖母でしたが、
残念ながら、眠ったままでした。

それから
無事に御葬式も終え、
バタバタと日常に戻りました。

遺された者は
一生懸命生き抜くことでしか、
供養が出来ないと
20歳の時に知りました。

あの時と違うのは
私には愛する大切な家族が居ること。
独りではない。

なんかまだぽっかり穴が空いていますが、
前に進むしかないと思っています。


冠婚葬祭って、
ほんまに自分の血すじとか
家族とか未来などを考えます。

義祖母は理容師でした。
嫁いでから、私が美容師をしていたことを
告げた時の嬉しそうな顔は
忘れることはないと思います。

おばあちゃん、長い間
お疲れ様でした。
身体がしんどい日々が続いて
ほんまに大変やったと思います。

ほんの少しでも、
おばあちゃんの痛みや苦しみ、しんどさが
軽くなりますように。
おばあちゃんの会いたかった人達に早く会えますように。

おばあちゃん、ありがとう。
血の繋がらない孫の私にも
いつも優しく接してくれて、
嬉しかったです。
10年だけだったけど、
おばあちゃんの孫になることができて
良かったです。


そして。
義父が16年前に他界してから、
ずっとそばで支えていた義母にも
お疲れ様でした、と言いたいです。
病気と認知症とで
義母が誰よりも大変だった。
私も義母と同じ立場になったときに
仕事を辞めてお世話をする、、、
ということは全く今は考えられません。

それくらい義母の優しさや強さには
尊敬の念しかありません。
いつも、
私や子どもたちの面倒もみてくれて、
お母さん、ありがとうございます。

そしてこれからも家族として
至らない嫁ですが
よろしくお願い致します。


哀しみはいつまでも引きずってしまいがちやけど、
笑顔しか思い出せません。

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